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昔々の厳冬期のくらし
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温暖化のせいか厳冬期でもシバレる事が少なくなっている。
昔は住宅事情も悪く、シバレのきつい日は、人々の暮らしぶりも厳しいものだった。
中でも私の生まれ故郷である北見は、最低気温が氷点下30度にもなる厳寒の地であったが、 時折その当時の厳しかった寒さのことが思い出される。
厳寒期の現象として、氷点下20度以下になると、ツララが白くなり、布団の襟に霜が付いたり、金物などにも霜が付くと言われている。
そういえば、寝ている布団の襟が吐く息で濡れて凍ったり、金物に触れると指がくっついたりした記憶がある。
雪道を歩けばキュッキュッと音がして、顔が痛くなり、鼻の穴がくっついたりなどしたものだった。
極めつけは、当時は“ポットントイレ”が当たり前の時代。
下を覗くとピラミット状に凍りついた光景は当時の厳寒期の象徴でもあった。
今のように手軽に暖かさが得られる暮らしとは違い、暖房は薪や石炭のストーブが主流で、
デレッキなどもストーブには付き物の必需品だった。
そのストーブを焚き付けるのは朝一番に起きる母親の役目であり、温かくなったころに家族が
起きていたことにも母の苦労を思う。
暖房の無い寒いお風呂場で たらいと洗濯板で家族の衣類を洗濯していたことなど、当時は
家族が多いのが普通だったから、主婦の苦労も並大抵のものではなかっただろう。
当時私の家では湯たんぽ代わりにアンカを使っていた。
真っ赤に焼けた豆炭をアンカに入れ、寝る前に布団に入れて暖めると、シバれる夜でも心地
よい眠りにつけた。
ところがこのアンカの上に足をのせたままぐっすり寝込んだら大変なことになる。
所謂低温火傷というもので、私の足のふくらはぎにはその時の証拠が今も残っている。
恐らくそんな経験をした方も多いのではないだろうか。
そんな事を思いめぐらしながら、今は長い病院暮らしになっている母のことに思いが至る。
家への一時帰宅も許可が下りない現状ではどうすることも出来ないけれど、暖かい季節になったら、散歩くらいはさせてやれるだろうか。
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