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東北の旅(中尊寺)
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中尊寺は嘉祥3年(850)慈覚大師によって開かれ、1105年、藤原清衡が再興した天台宗の東北大本山。
その後、藤原四代100年にわたる栄華・文化の象徴として、一大仏教王国が築かれた。
中尊寺の境内に入るには長い急坂(月見坂)を上るが、上り口には弁慶の墓(弁慶の立ち往生の地)がある。
また四代泰衡公の首桶から発見されたハスの種が平成10年開花に成功し、初夏には「中尊寺ハス」として清楚な花を咲かせるのが見られるという。
中尊寺金色堂は、杉の巨木やまばゆいばかりの紅葉が周囲を覆い、堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。
壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く11体の仏像が安置されている。
奥州藤原氏が滅亡して500年目に(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と「奥の細道」の旅に出る。
平泉を訪れた芭蕉は、義経公の居館があったと伝え
られる高館の丘陵にのぼり詠んだのがこの句です。
夏草や 兵どもが 夢の跡
続いて中尊寺を訪れ金色堂に参詣、下の句を詠む
五月雨の 降残してや 光堂
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